【エッセイ】チンビン(ポーポー)

チンビンとは?ポーポーとの違いは?

 「チンビン」という名前のお菓子を知っていますか。

 「チンビン」とは、小麦粉、黒糖、水を生地とし、薄く焼き、くるくる巻いたお菓子の事で、沖縄版のクレープのようなものです。中国由来の名前で「巻餅/煎餅」と書かれるこのチンビンは、県内では日常的におやつとして食され、スーパーでも季節を問わず販売されています(ちなみにこのチンビンと似た食べ物に「ポーポー」というものがあります。こちらは生地に黒糖などを使用せず、油味噌を芯にして巻いた物で、白い見た目のおかず系クレープのような物です。このチンビンとポーポー、地域によって呼び方が逆転しているという面白い現象があるのですが、それは後述しようと思います)。

 「庶民の味代表」とも呼べる存在のチンビン、実は歴史を辿ると琉球王朝から存在する歴史のある王朝菓子であり、1747年には島津藩への献上品として「巻餅」の名前で記録が残っています(薩摩藩への献上品としても重宝されていたようです)。

 日々のおやつとして親しまれているチンビンですが、実は行事料理としての側面もあります。旧暦の五月四日、沖縄でユッカヌヒーと呼ばれるこの日は、子供の健やかな成長を願う日であり、チンビンは、仏壇へのお供物として作られ、ウサンデー(お供物をいただくこと)として子供達に振る舞われていました。現在、この風習自体はあまり残ってはいませんが、それでもスーパーなどでは「ユッカヌヒーのチンビン」などのポップと一緒にこのお菓子が販売されています。

 黒糖を使用するこのチンビンですが、かつては白砂糖を使用した白いちんびんが存在していたことも明らかになっています。琉球料理保存協会理事長であり、沖縄の食文化についての書物を多数執筆している安次富順子の著書「琉球菓子」には以下のような記載がなされています。

   『与那城−』には砂糖のところに二つの添え書きがあります。一つは大和絵巻のお重を使う時には白砂糖を使い、もう一つは午年の十一月以降は「黒砂糖壱斤五合白砂糖壱斤を使う」と記されています。この午年がいつかは分かりませんが、その時から黒砂糖と白砂糖を合わせて使うようになったようです。
   
   この記載を見たとき大変驚きました。というのは白いチンビンが存在したからです。〜中略〜チンビンは黒、ポーポーは白というのが今は一般的なのです。

 ここで興味深いのは、白いちんびんが存在したことに対し「大変驚きました。」とあり、さらにその理由を「現在チンビンと呼ばれる菓子は、黒砂糖で作る黒いものです」「チンビンは黒、ポーポーは白というのが今は一般的なのです」と続けられていたことです。

 というのも、先述した通り「チンビンは黒、ポーポーは白」という呼び方は地域(もしくは世代)によっては“一般的”という実感はあまりなく、その区別が非常に曖昧である可能性があるからです(世代間ギャップのようなものはあるかもしれません)。もちろん「チンビンは黒、ポーポーは白」が正式な名称であるのは記された書物の年代からいっても間違いはないかと思います。しかし、少なくとも本島南部で平成以降生まれた世代の一部は「黒も白もポーポー」で記憶し、そう呼んでいたはずです(白をチンビンと呼ぶ逆転現象さえ起こっています)。また、沖縄には黒糖を使用していながらも「ポーポー」と呼ばれている伝統的な地域のお菓子も存在しています。

 読谷村楚辺には「楚辺ポーポー」と呼ばれるお菓子が存在します。これは黒糖を用いた巻きクレープのようなもので、チンビンとは違い生地に卵が入ることが特徴で、少し分厚く、また巻く際の面がチンビンとは逆になっています(チンビンは気泡で凹凸ができた面を表にしますが、楚辺ポーポーは滑らかな面を表にします)。旧暦四月十五日、アブシバレー(田畑の虫払い)という祭で提供されたお菓子でもあります。

 平安座島にも「サングァチポーポー」というお菓子があります。こちらも楚辺ポーポー同様に黒糖を使用したお菓子になります。特徴的なのは材料の一つにムギ粉(粗挽き全粒粉)が含まれることです。粒の荒いムギ粉を使用しているため、吸水などの時間が必要で、生地を作る段階でかなりの手間と時間がかかるようです。このサングァチポーポーは旧暦三月三日からの三日間、サングァチャーと呼ばれる平安座島の伝統行事に仏壇への供物として作られています。

 両者とも、その地域の方達の証言からチンビン同様、明治〜昭和初期の時点ではすでに現在と同じ形で存在していたようです。余談になりますが、面白いのが三者とも目的・時期は違えど、行事食としての機能があり、それが地域のおやつとして変化していったところです。手軽でとても美味しいお菓子なので、考えることは皆同じなのかもしれません。

 いずれにせよ、このように黒糖を使用していても「チンビン」と呼んだり「ポーポー」と呼んだりと、地域、文化によって異なりがあるので、この見た目が酷似したお菓子それぞれが長い時間を経て互いに影響し合い、現在のチンビンの呼び方の曖昧さに繋がっていった可能性はあるかと思います。(それぞれ異なる地域、文化の中にあるお菓子を紐付ける際に、その話題の中心に王朝菓子であるチンビンを据えることは非常に権威主義的であり、他の文化を軽んじる可能性があることは注意する必要があると思いますが)。

 ともあれ、このチンビンは手軽に作れるという点で非常に親しまれており、沖縄の代表的なお菓子とされる「サーターアンダギー」や「ちんすこう」よりも県民にとっては身近なお菓子と言える気がします。沖縄にお越しの際は是非召し上がってみてください。

 

参考文献
安次富順子『琉球菓子』(2017)
沖縄の旧暦行事「ユッカヌヒー」は、ハーリー・ポーポー・おもちゃ、を...〜仏壇持ち家庭の窓から〜
https://www.otv.co.jp/okitive/article/41968/
『週刊ほ〜むぷらざ』平成から令和へ受け継ぐ 第1692号https://fun.okinawatimes.co.jp/columns/life/detail/9267
平安座島の年間行事
https://www.henza.jp/page/sangwacha.html
年に一度だけの伝統菓子〜平安座サングァチポーポー
https://note.com/osekkai_ne_ne/n/n3de7fd2c22d4